2005年 10月 25日
不自由さかげん |
突然だが、私はガンダム世代である。
TVで夕方、フラウが作った、サンドイッチをほうばっているアムロに憧れ、ガンダムを見る時は、いつも近所のパン屋「LONDON」でハムサンドを購入し、食べながらガンダムを見ていた。
ガンダムを見ながら、ハムサンドを食べる自分がカッコいいと思っていた。
TVの中は、非現実的な存在で、現実と交差する事はなかったし、TVを実現させようとも思えなかった。
ドラえもんの未来の世界。
「未来とはあんな感じか~」と未来と現実を区別し見ていたし、未来を遠く感じてもいた。
なぜなら、私の暮らしていた環境では、ドラえもんのような未来の欠片なんか見る事が出来ない所だったからだ。
アイドルといわれていた人たちもそうだ。
あれは、TVの中での話で、アイドルと会う事なんかきっと無いと、思っていた。
こう考え、今の若者と比較すると、かなり夢の無い人間だったのかもしれない。
しかし、今のTVはかなり「お茶の間寄り」でTVの中の世界は素人でも実現させる事が出来るように見せ作られている。
誰でもアイドルになれるように、最近の売れっ子アイドルはクラスメイトの中にいそうな感じの子だったり。
PCでCGなんかを作れる人にとっては、TVの中のヴァーチャルなんか簡単に作れるだろうし、それ以上ものモノをつくることもできるだろう。
そう考えていくと、なんか境界線というモノが無くなっているような気がする。
バーチャルな世界と、現実的な世界が同化しつつあるのではないだろうか?
湾岸戦争で見たTVの映像は、ゲームセンターで戦争ゲームを思い出させ、戦争への恐怖感の喪失。
殺人ゲームは実際に殺人を現実に及ぼす。
これらは、バーチャル世界に存在していなきゃいけない悪が、現実となったケースかもしれない。
TVの世界では、才能があろうが無かろうが、誰でもなれるような仕組みが出来上がっている。
クラスメイトにいるようなアイドルや、近所のねーちゃん的アイドルの存在などの出没。
芸能人は才能が無くては生きていけない世界であったにも関わらず、才能が無くても生きていける世界となっている。
才能ある芸能人が才能無い芸能人を馬鹿にして笑いをとったり。
歌唱力も無いのに、歌手となり、リリースした歌がヒットしたり。
所謂、芸の無い人間が舞台に立っているのが今の芸能社会である。
これらのような事を考えると、幼少のころ見る夢というのが狭められているような気がする。
あこがれ感をTVの世界で持てないので、子供はそれを目指さない。
誰だってなれるようなモノはかっこよく無いからだ。
夢では無いが、戦争や犯罪にしてもそうだ。
バーチャルと現実が交差している今の社会で、犯罪を減少させていくのは困難で事となっている。
ドラッグの氾濫にしても、誰でも簡単に手に入れる事が社会である為、氾濫する。
ゲームで簡単に人を殺せるので、ムカついたら人を殺す。
あまり、素敵な社会では無い。
夢見る社会が遠のいていく・・・・。
我々は、文明の進化により、あらゆる便利や楽しみを手に入れる事が出来た。
それは、夢を実現させてきた証でもある。
便利や楽しみを手に入れ続けると今後、社会はどうなっていくのだろうか?
夢が萎縮していくのではないだろうか?萎縮し続けた夢はその内、消滅しなくなるのではないだろうか?そうなると、誰も夢を見なくなるのではないだろうか?
誰も夢を見なくなると、この社会はどこに進んでいくのだろうか?
新たな夢が創作されるのだろうか?
昔の人が言っていた、不自由なくらいが丁度良いと。
TVで夕方、フラウが作った、サンドイッチをほうばっているアムロに憧れ、ガンダムを見る時は、いつも近所のパン屋「LONDON」でハムサンドを購入し、食べながらガンダムを見ていた。
ガンダムを見ながら、ハムサンドを食べる自分がカッコいいと思っていた。
TVの中は、非現実的な存在で、現実と交差する事はなかったし、TVを実現させようとも思えなかった。
ドラえもんの未来の世界。
「未来とはあんな感じか~」と未来と現実を区別し見ていたし、未来を遠く感じてもいた。
なぜなら、私の暮らしていた環境では、ドラえもんのような未来の欠片なんか見る事が出来ない所だったからだ。
アイドルといわれていた人たちもそうだ。
あれは、TVの中での話で、アイドルと会う事なんかきっと無いと、思っていた。
こう考え、今の若者と比較すると、かなり夢の無い人間だったのかもしれない。
しかし、今のTVはかなり「お茶の間寄り」でTVの中の世界は素人でも実現させる事が出来るように見せ作られている。
誰でもアイドルになれるように、最近の売れっ子アイドルはクラスメイトの中にいそうな感じの子だったり。
PCでCGなんかを作れる人にとっては、TVの中のヴァーチャルなんか簡単に作れるだろうし、それ以上ものモノをつくることもできるだろう。
そう考えていくと、なんか境界線というモノが無くなっているような気がする。
バーチャルな世界と、現実的な世界が同化しつつあるのではないだろうか?
湾岸戦争で見たTVの映像は、ゲームセンターで戦争ゲームを思い出させ、戦争への恐怖感の喪失。
殺人ゲームは実際に殺人を現実に及ぼす。
これらは、バーチャル世界に存在していなきゃいけない悪が、現実となったケースかもしれない。
TVの世界では、才能があろうが無かろうが、誰でもなれるような仕組みが出来上がっている。
クラスメイトにいるようなアイドルや、近所のねーちゃん的アイドルの存在などの出没。
芸能人は才能が無くては生きていけない世界であったにも関わらず、才能が無くても生きていける世界となっている。
才能ある芸能人が才能無い芸能人を馬鹿にして笑いをとったり。
歌唱力も無いのに、歌手となり、リリースした歌がヒットしたり。
所謂、芸の無い人間が舞台に立っているのが今の芸能社会である。
これらのような事を考えると、幼少のころ見る夢というのが狭められているような気がする。
あこがれ感をTVの世界で持てないので、子供はそれを目指さない。
誰だってなれるようなモノはかっこよく無いからだ。
夢では無いが、戦争や犯罪にしてもそうだ。
バーチャルと現実が交差している今の社会で、犯罪を減少させていくのは困難で事となっている。
ドラッグの氾濫にしても、誰でも簡単に手に入れる事が社会である為、氾濫する。
ゲームで簡単に人を殺せるので、ムカついたら人を殺す。
あまり、素敵な社会では無い。
夢見る社会が遠のいていく・・・・。
我々は、文明の進化により、あらゆる便利や楽しみを手に入れる事が出来た。
それは、夢を実現させてきた証でもある。
便利や楽しみを手に入れ続けると今後、社会はどうなっていくのだろうか?
夢が萎縮していくのではないだろうか?萎縮し続けた夢はその内、消滅しなくなるのではないだろうか?そうなると、誰も夢を見なくなるのではないだろうか?
誰も夢を見なくなると、この社会はどこに進んでいくのだろうか?
新たな夢が創作されるのだろうか?
昔の人が言っていた、不自由なくらいが丁度良いと。
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by times_gone
| 2005-10-25 15:16
| 生きている環境