2005年 11月 15日
ベタな幸せ? |
しばらく、お休みしていました。
PC端末が無い環境にいた為、ブログの更新、チェックが出来ませんでした。
本日より、再開します。
で、本日は、“幸せ”とはどういうモノなのでしょうか?という事です。
「友人と酒を呑みながら、夢を語ること?」
「趣味や得意な事にハマッテイルこと?」
「仕事に夢中になり、週末の休みに感情的になること?」
・・・・・・・。
きっと、様々な幸せが、それぞれの人にあるのだろうと思う。
しかし、全てに共通するのではないかと思う事がある。
それは、“酔い痴れていること”なのではないだろうか?
酔い痴れている状態が幸せと感じる状態ではないだろうか?と思う。
およそ、偏りのある意見ではあるが、酔い痴れている状態を幸せと解釈することが出来ると、私は思う。
何をするにも、夢中になっている事が幸せだ。
その状態を、客観的に見ると、酔い痴れていると思えるのだ。
最近まで、私は酒を呑み、酒の酔いに合わせて、会話をし、行動している時間が多かった。
しかし、アル中では無い。
酒は人と人との潤滑油であると思っていたので、そのような行動をとっていたのだ。
よって、一人で飲むことはめっぽう少なく、仕事関係の人や、友人、親族、恋人との間には酒を置き、関係を確立しようと思い、そのように行動してきた。
だが、ちょっとした都合で酒を呑む事を医者から止められたのだ。
だから、何をするにもシラフで対応しなくてはいけなくなった。
会話も、夢を見るのも、遊びも、人間関係の構築も全てだ。
しかし、死ぬまでこの状態を保つ事を医者から命じられているわけではなく、一定期間の禁酒が必要である為、ここ何ヶ月かはシラフで生きている。
酔っ払っていた頃は、毎日が楽しかった。
平日は、夜酒を呑むことを目的に仕事に励み、訪れる週末を目標に一週間を行動していた。
仕事しているか、酔っ払っているかだったかも知れない。
酒の酔いに任せ、会話を楽しむ事が最も好きだった。
夢を語るのも、社会を論じるもの、会社を批判するのも全て、酒を交えるとイメージが湧き出てくる感じがして、それに身を任せていた。
だからといって、語った事が全て行動となっていた訳ではない。
これが弱点だった。
全てが行動に移っていたら、きっと今の私は大富豪を超越し、貴族となっていたかも知れない。
ほとんど全てを行動に出来ず、結果を示せなかった自分は、普通の社会人でしかない。
良かったのか、悪かったのかは分からないが、過去を振り返るのは好きではないので、今の状態が最もいいのだろうと思う。
幸せを感じる事は、人間の身体にとっても重要であると本にも書いてありました。
現在、私は酒の力に頼らず幸せを感じ生きています。
それは、健康であること。明日の予定が立てられること。プーマの靴を買えること。食事が美味しいこと。本を読んで感銘すること。歩けること・・・・・。
とっても普通のことだらけです。
しかし、この普通のことだらけに幸せを感じることが出来ます。
今までは、特別な何かを用意し、特別な力を借りて初めて、幸せを感じていたような気がします。
普通のことに対し、幸せを感じれなかったのです。
幸せ麻痺状態です。よっぽど毎日が異常だったのかもしれません。
子供の頃や、田舎に帰ったときなど普通に何もする事がない時間が流れています。
きっと、それが幸せなのかも知れません。
何をするのではなく、特別な準備もせず、ただ普通に生きていくことが、最も幸せなのかも知れません。
その普通に生きることに酔い痴れるようになる事が、今の社会に欠けているような気がしています。
PC端末が無い環境にいた為、ブログの更新、チェックが出来ませんでした。
本日より、再開します。
で、本日は、“幸せ”とはどういうモノなのでしょうか?という事です。
「友人と酒を呑みながら、夢を語ること?」
「趣味や得意な事にハマッテイルこと?」
「仕事に夢中になり、週末の休みに感情的になること?」
・・・・・・・。
きっと、様々な幸せが、それぞれの人にあるのだろうと思う。
しかし、全てに共通するのではないかと思う事がある。
それは、“酔い痴れていること”なのではないだろうか?
酔い痴れている状態が幸せと感じる状態ではないだろうか?と思う。
およそ、偏りのある意見ではあるが、酔い痴れている状態を幸せと解釈することが出来ると、私は思う。
何をするにも、夢中になっている事が幸せだ。
その状態を、客観的に見ると、酔い痴れていると思えるのだ。
最近まで、私は酒を呑み、酒の酔いに合わせて、会話をし、行動している時間が多かった。
しかし、アル中では無い。
酒は人と人との潤滑油であると思っていたので、そのような行動をとっていたのだ。
よって、一人で飲むことはめっぽう少なく、仕事関係の人や、友人、親族、恋人との間には酒を置き、関係を確立しようと思い、そのように行動してきた。
だが、ちょっとした都合で酒を呑む事を医者から止められたのだ。
だから、何をするにもシラフで対応しなくてはいけなくなった。
会話も、夢を見るのも、遊びも、人間関係の構築も全てだ。
しかし、死ぬまでこの状態を保つ事を医者から命じられているわけではなく、一定期間の禁酒が必要である為、ここ何ヶ月かはシラフで生きている。
酔っ払っていた頃は、毎日が楽しかった。
平日は、夜酒を呑むことを目的に仕事に励み、訪れる週末を目標に一週間を行動していた。
仕事しているか、酔っ払っているかだったかも知れない。
酒の酔いに任せ、会話を楽しむ事が最も好きだった。
夢を語るのも、社会を論じるもの、会社を批判するのも全て、酒を交えるとイメージが湧き出てくる感じがして、それに身を任せていた。
だからといって、語った事が全て行動となっていた訳ではない。
これが弱点だった。
全てが行動に移っていたら、きっと今の私は大富豪を超越し、貴族となっていたかも知れない。
ほとんど全てを行動に出来ず、結果を示せなかった自分は、普通の社会人でしかない。
良かったのか、悪かったのかは分からないが、過去を振り返るのは好きではないので、今の状態が最もいいのだろうと思う。
幸せを感じる事は、人間の身体にとっても重要であると本にも書いてありました。
現在、私は酒の力に頼らず幸せを感じ生きています。
それは、健康であること。明日の予定が立てられること。プーマの靴を買えること。食事が美味しいこと。本を読んで感銘すること。歩けること・・・・・。
とっても普通のことだらけです。
しかし、この普通のことだらけに幸せを感じることが出来ます。
今までは、特別な何かを用意し、特別な力を借りて初めて、幸せを感じていたような気がします。
普通のことに対し、幸せを感じれなかったのです。
幸せ麻痺状態です。よっぽど毎日が異常だったのかもしれません。
子供の頃や、田舎に帰ったときなど普通に何もする事がない時間が流れています。
きっと、それが幸せなのかも知れません。
何をするのではなく、特別な準備もせず、ただ普通に生きていくことが、最も幸せなのかも知れません。
その普通に生きることに酔い痴れるようになる事が、今の社会に欠けているような気がしています。
by times_gone
| 2005-11-15 01:27
| 生きている環境