2005年 11月 07日
分別の為の新たな基準作り |
安全の確保が叫ばれている。
BSE問題やキムチに虫が入っていたとか食品の安全が叫ばれている。
食品とは、我々が生きていくにあたり、絶対必需品であり、何を食するかにより、健康維持にも影響する。つまり、口にする物によっては死に至る事もあるほど、重要な事であるという事だ。
今は、子供が砂場で遊ぶ事に対しても、親は懸念を抱いているようある。
それは、砂場には猫や犬などの動物のばい菌や便が混ざっていたり、目に見えない細菌が混在している事が理由と聞いた事がある。
しかし、我々が子供の頃は、そんな事に対して社会の関心は低く、砂場の砂を噛む事も多かった。それで、病気になった事も無い。
きっと、現在より、昔の方が野良犬や野良猫が多かった時代である。
又、食品管理においても現在よりも、ずっとズサンだったと思う。
同時に、身体に少しぐらいばい菌が入った方が、免疫力が向上されるとも言われていた。
今は核家族化が進んでいる為に少なくなったが、当時の安全を確保する為に、我々を守ってくれていた存在は、おばぁちゃんとかおじいちゃんの知恵。つまり昔の人の知恵が我々の健康を維持してくれていた要素も多いのではないだろうか?
確かに、現在の医学や科学の進歩で、それら全てが正しかったとは言いがたいが、少なからずも祖母と祖父の話を分別する為のツールとして利用していた。
よって、子供の時に彼らの存在は絶対的であり、父母に於いても同様であったのではないだろうか?
昔のように古人からの話を聞く機会はひどく減少した。
それは、祖母や祖父に限ることではない。
年代を超えてのコミュニケーションを確保する空間が減少しているのだ。
古き企業は様々な年代の人間が存在しているが、しかし、年代間を超えての有効なコミュニケーションが行われているとは考えにくい。
皆さんはそうは思わないだろうか?
年代を超えて酒を飲みに行っているだろうか?
そもそも、尊敬に値するそのような年上の人の存在はあるのでしょうか?
といった事です。
ベンチャー企業が立ち上がり、企業の若返りが叫ばれている現在では、このよう事は普通ではなくなっている時代なのだ。
よって、モノゴトを分別する基準を生産者に強く求めるようになった。
食品なら今は、生産者の掲示が望まれており、その人がどのように生産したのかをも、求められている。
昔は責任が購入者にあったのだが、現在は生産者に移行したのだ。
これは、昔の人の方が物を分別する能力があったという事と、それほど情報が今ほど多くないので、供給される物に限りがあったし、流通も今ほど発展していなかったので、産地での需要と供給バランスが確立していた為、地元人は商品自体の目利きには長けていた事も理由として考えられるだろう。
古人の言っていた事は全てが正しいわけではないと思うが、それは分別する際の大きな基準として存在していた。今と昔の大きな差である。
私達が求め続けた生活の結果が、現在の事故や現象となっている。
新たな分別する為の基準作りが始まったばかりである。
BSE問題やキムチに虫が入っていたとか食品の安全が叫ばれている。
食品とは、我々が生きていくにあたり、絶対必需品であり、何を食するかにより、健康維持にも影響する。つまり、口にする物によっては死に至る事もあるほど、重要な事であるという事だ。
今は、子供が砂場で遊ぶ事に対しても、親は懸念を抱いているようある。
それは、砂場には猫や犬などの動物のばい菌や便が混ざっていたり、目に見えない細菌が混在している事が理由と聞いた事がある。
しかし、我々が子供の頃は、そんな事に対して社会の関心は低く、砂場の砂を噛む事も多かった。それで、病気になった事も無い。
きっと、現在より、昔の方が野良犬や野良猫が多かった時代である。
又、食品管理においても現在よりも、ずっとズサンだったと思う。
同時に、身体に少しぐらいばい菌が入った方が、免疫力が向上されるとも言われていた。
今は核家族化が進んでいる為に少なくなったが、当時の安全を確保する為に、我々を守ってくれていた存在は、おばぁちゃんとかおじいちゃんの知恵。つまり昔の人の知恵が我々の健康を維持してくれていた要素も多いのではないだろうか?
確かに、現在の医学や科学の進歩で、それら全てが正しかったとは言いがたいが、少なからずも祖母と祖父の話を分別する為のツールとして利用していた。
よって、子供の時に彼らの存在は絶対的であり、父母に於いても同様であったのではないだろうか?
昔のように古人からの話を聞く機会はひどく減少した。
それは、祖母や祖父に限ることではない。
年代を超えてのコミュニケーションを確保する空間が減少しているのだ。
古き企業は様々な年代の人間が存在しているが、しかし、年代間を超えての有効なコミュニケーションが行われているとは考えにくい。
皆さんはそうは思わないだろうか?
年代を超えて酒を飲みに行っているだろうか?
そもそも、尊敬に値するそのような年上の人の存在はあるのでしょうか?
といった事です。
ベンチャー企業が立ち上がり、企業の若返りが叫ばれている現在では、このよう事は普通ではなくなっている時代なのだ。
よって、モノゴトを分別する基準を生産者に強く求めるようになった。
食品なら今は、生産者の掲示が望まれており、その人がどのように生産したのかをも、求められている。
昔は責任が購入者にあったのだが、現在は生産者に移行したのだ。
これは、昔の人の方が物を分別する能力があったという事と、それほど情報が今ほど多くないので、供給される物に限りがあったし、流通も今ほど発展していなかったので、産地での需要と供給バランスが確立していた為、地元人は商品自体の目利きには長けていた事も理由として考えられるだろう。
古人の言っていた事は全てが正しいわけではないと思うが、それは分別する際の大きな基準として存在していた。今と昔の大きな差である。
私達が求め続けた生活の結果が、現在の事故や現象となっている。
新たな分別する為の基準作りが始まったばかりである。
by times_gone
| 2005-11-07 00:05
| 生きている環境