2005年 10月 14日
2つの出来事 |
情報ってのは、我々にどのような効果をもたらしているのだろうと思う時が多い。
確かに、便利になった。
ネットがあるおかげで、知識を脳みその中に蓄積しなくても助かるし。
知らないことなんか、googleがあれば全く問題が無い。
つまり、覚えるという事をしなくなった。
脳みそが退化していくのでは・・と思う時がる。
同時に、最近の私の現象なのだが、モノ忘れ、覚えの鈍化が見られる。
しょうもない話であるが、私は酒が好きなので、アルコールが脳を退化させているのでは?と思っていたが、違うように感じてきた。
つまり、ネットを利用することが退化を進めているのでは?と思うようになったきたのだ。
もうひとつある。
それは、情報を処理する為の時間というものだ。
簡単に言うと、24時間営業の情報に追いつく為、休む時間が少なくなってきたという事。
情報を処理するだけでなく、その情報を活用していく事が仕事のひとつとなり、
その情報をうまく活用できてこそ、良い仕事が出来る。
これって、情報に溺れているのでは?ってよく思う。
又、情報源の幅がグローバルになった事。
溺れている情報の海が宇宙のように感じるときがある。
身体に良くないなぁと思う。
知らない情報を理解するだけでも労力なのに、その情報が無限大にある。
その中で、情報を識別していかなければならない。
この生身の身体で何ができるのか?どこまで追いつけるのか?が問題、いや課題だ。
このようにブログをいう媒介を通して私は、今情報を簡単に発信しようとしている。
これも情報過多の一役をになっている。
1980年代はこれほどまで情報があふれていなかったが、そのケはあった。
しかし、情報が溢れ過ぎていない事と、その頃の世代はそれを処理する能力と気持ちがあった。
バブルの到来だ。
1970年代は、それほど多くの情報は無く、大阪、東京間でも情報の時差が生じていた。
つまり、東京に行けば、新たな情報=刺激を手に入れる事が出来るというストーリーで、多くの人が東京を目指した。
一体、何が人間を育てているのか?
1970年以前は、家族、近所、ラジオ、コミミティが情報源だった。
だから、古い話から新しい話まで多方面な情報を獲得しており、血縁というものが社会を作っていた。
1980年を過ぎ、バブルが崩壊した後は、情報が社会を作りだしたのだろうと思う。
2005年の今の人々は、どっぷり情報につかり、溺れ、嘆き、歯車が狂っている人も現れ、ハッキリ言って盲目になったている人達、世代がある。
しかし、その情報をコントロールし、新たなビジネスや生き方を作っている人達もいる。
2極化がはじまったのだ。
情報を制するものが、時代を勝ち抜く事ができるのだろう。
それが正論ならば、息苦しくないか?
もっと、人生とは達成感の元にあったのではないか?
全てを変えていく必要は無いが、
この現実の中で、私達は何を目標とし、何を選択して生きていく事が出来るのかを明確に持たないといけないのではないだろうか?
人生のビジョン。あたなのビジョンは何ですか?
確かに、便利になった。
ネットがあるおかげで、知識を脳みその中に蓄積しなくても助かるし。
知らないことなんか、googleがあれば全く問題が無い。
つまり、覚えるという事をしなくなった。
脳みそが退化していくのでは・・と思う時がる。
同時に、最近の私の現象なのだが、モノ忘れ、覚えの鈍化が見られる。
しょうもない話であるが、私は酒が好きなので、アルコールが脳を退化させているのでは?と思っていたが、違うように感じてきた。
つまり、ネットを利用することが退化を進めているのでは?と思うようになったきたのだ。
もうひとつある。
それは、情報を処理する為の時間というものだ。
簡単に言うと、24時間営業の情報に追いつく為、休む時間が少なくなってきたという事。
情報を処理するだけでなく、その情報を活用していく事が仕事のひとつとなり、
その情報をうまく活用できてこそ、良い仕事が出来る。
これって、情報に溺れているのでは?ってよく思う。
又、情報源の幅がグローバルになった事。
溺れている情報の海が宇宙のように感じるときがある。
身体に良くないなぁと思う。
知らない情報を理解するだけでも労力なのに、その情報が無限大にある。
その中で、情報を識別していかなければならない。
この生身の身体で何ができるのか?どこまで追いつけるのか?が問題、いや課題だ。
このようにブログをいう媒介を通して私は、今情報を簡単に発信しようとしている。
これも情報過多の一役をになっている。
1980年代はこれほどまで情報があふれていなかったが、そのケはあった。
しかし、情報が溢れ過ぎていない事と、その頃の世代はそれを処理する能力と気持ちがあった。
バブルの到来だ。
1970年代は、それほど多くの情報は無く、大阪、東京間でも情報の時差が生じていた。
つまり、東京に行けば、新たな情報=刺激を手に入れる事が出来るというストーリーで、多くの人が東京を目指した。
一体、何が人間を育てているのか?
1970年以前は、家族、近所、ラジオ、コミミティが情報源だった。
だから、古い話から新しい話まで多方面な情報を獲得しており、血縁というものが社会を作っていた。
1980年を過ぎ、バブルが崩壊した後は、情報が社会を作りだしたのだろうと思う。
2005年の今の人々は、どっぷり情報につかり、溺れ、嘆き、歯車が狂っている人も現れ、ハッキリ言って盲目になったている人達、世代がある。
しかし、その情報をコントロールし、新たなビジネスや生き方を作っている人達もいる。
2極化がはじまったのだ。
情報を制するものが、時代を勝ち抜く事ができるのだろう。
それが正論ならば、息苦しくないか?
もっと、人生とは達成感の元にあったのではないか?
全てを変えていく必要は無いが、
この現実の中で、私達は何を目標とし、何を選択して生きていく事が出来るのかを明確に持たないといけないのではないだろうか?
人生のビジョン。あたなのビジョンは何ですか?
by times_gone
| 2005-10-14 02:58
| 生きている環境